笠間川を眼下に見る山麓に、奈良時代平城京の大寺院と同じくらいの 大規模な七堂伽藍が建立されていたことを示す金堂跡、南門跡などの礎石が当時のまま残っています。 付近から出土した軒丸瓦、軒平瓦はいずれも奈良時代後期のもので、 廃寺跡より下流にある岩屋瓦窯跡で焼かれたことが発掘調査で判明しています。 また、毛原廃寺跡は国指定史跡に指定されています。